「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)作者: 熊代亨出版社/メーカー: 講談社発売日: 2014/03/28メディア: Kindle版この商品を含むブログ (8件) を見る最近読んだ本に関して思ったことなど。 年をとることは、必ずしもマイナスのイメージでとらえるべきでもな…
考えてもどうしようもないことがすぐそばにあるとき、そのことを考えずにいるにはどうすればよいかを考える。普段どおり過ごしながら、心の平静を保つにはどうすれば良いかを考える。 自分が実践してきたことはいくつかある。 自分に負荷を与える。 自分に課…
目の前に、ともすれば雑念を抱かせるきっかけがある場合。 その雑念は、しょせん雑念にすぎず、かなわないことを言い聞かせる場合。 それでいて、だからこそ、自分が自分自身に抗いたい、昨日よりもまた違う自分でありたい、そう思っている場合。 何もしなけ…
少し前に既に自分も通った道。 気がつけば、かなり前に自分も体験していたこと。 いまさらながら、あのときの緊張と興奮は何だったのだろう、と振り返る。 周りに惑わされることは自分のためにはならないと、わかってはいながらも。
仕事の場面で、このところ、自分は恵まれているのではないかと思うことが増えている。 思い当たる節はいくつかある。 一緒に仕事をするメンバーに、自分が支えられているという実感がある。 前任者の残したことを、ようやく自分のものにできた実感がある。 …
FOMAからAndroid(GALAXY SII)に替えて1ヶ月。 よく使うアプリやそうでないアプリをひと通り整理してみることにした。 よく使うアプリ ATOK https://market.android.com/details?id=com.justsystems.atokmobile.service これまでAndroidアプリで唯一お金を払…
時間や寝食を忘れて没頭できることがあって、精神的にも肉体的にも充実した時間を過ごせる時期があるとして。 なにかがきっかけでそのことから離れてしまって、心にふとしたすき間が生まれることがある。 そういうとき、たまたま、近くに話を聞いてくれる人…
まあ、それはないだろうと思っていたことが、どうやらそうらしいとわかったとき。 のぼせかけていた頭を冷やすには、ちょうどいい。 自分自身の脇が甘い、ということを、この機会に戒めねばなるまい。
人に言われて、はっと気づくとき。 抜け出せない泥沼に足を踏み入れていたと気づくとき。 見極めるには、それなりの場数を踏んでいなければならないところ。 そのあたり、経験値が低いとひとりで乗り越えるのは難しい。
その場に長い間いる人で、過去を参照しつつ「今のレベルは高くない」と言い切る人ほど、 自分自身のレベルを維持することについてどこまで意識しているのだろう、と勘ぐりたくなることがある。 何もせずにいつまでもピークの状態を保つことができると考えら…
二年くらい前に比べると運動したあと疲れが抜けるのが遅くなっているような気がする。 ストレッチを意識してやってみるか。
その日が決まってからその日が来るまで、 その日が近づきつつあるのを寂しく思いながら、 そっと遠くから見ているのが一番だと思った。 だから、その日が決まってから、いつも習慣にしていたことをやめた。 なぜなら、それは、自分の知っているそれでは、も…
自分も噂されている、と思うと昔のようには喜べなくなった。
うすうすは気づいていたけど、そのことが確かなことを知る。 いまの環境には期限がある、ということが、よりはっきりしたような気もする。 そのことを、誰がどのくらい知っているのだろうか、と関心が向かないでもないが そのことは、自分が今やらなければな…
味はどうあれ、繰り返し噛み締めることのできる経験をそばにおいておける限り大丈夫。いつか、その味を変えてみせる、と。
繰り返してしまうことが怖い。 また同じ轍を踏むのか、と。
リアルで話せないことをネットに書き綴る、という考え方がある。 しがらみの少ないところで見知らぬ誰かに向けて本音を書く、それがブログを書くモチベーションになる、という考え方が。 だが、リアルと同じようにネットで人間関係を築き始めると、遅かれ早…
素直であり続けることは、ある意味で自分の忍耐力と根性を試すときでもある。
リスクを見積もる。 リスクを減らすすべを考える。 リスクを減らす行動を取る。行動を続ける。 それができなくて窮地に陥ったとき、それは怠慢と呼ばれても仕方がない。 なぜなら、それは予見できたものだから。
必要以上に気は遣ってほしくない。 ただ、無邪気に発せられた言葉が不意に突き刺さることがあることにと気づくと 自分の弱さを感じずにはいられない。 流しきるくらいの度量を持てないのか、と。
小さな決断の積み重ねがその人を作っていくんだ。
時計の針は、速く進むこともあれば、なかなか動かないこともある。動かせないこともある。
怪我をしたときは安静にしているのが一番。 日にち薬こそ、もっとも効き目のある薬。 だが、こういうとき、趣味のサイトを見に行くとあせりを感じずにはいられない、自分の弱さよ。 わかっているから、なんとかしないといけないんだけどね。
ふと思いつきで書いたことが 読んでほしい人の目に止まったことに気づくと ドキッとすることって、あるような気がする。 ディスプレイを挟んでニヤリとしあうような、そういう感覚というのかな。
好きな人のブックマークをたどっていると、 あるとき突然 「ああ、そうだったのか」と その人の考えてきたこと、背負ってきたことが見えたような気になることがある。 その人がダイアリーで書き残してきたこと、ブックマークでつぶやいてきたことが実を結ぶ…
一人目なら「まあ、そういうこともありますね」。 二人目なら「家庭の人になったんですね」。 出産・育児の休暇をとる人をこのような視線で見る人って、案外多いのかな。
「ふとすたーの意味を考えてみた - Hlýrnir」を読んで、思ったことを少しだけ。 たとえば、好きなブログで他愛のない日常の雑記を読んだときなんか。 ブックマークをするほどでもないし、コメントするには敷居が高い。 でも「読みましたよ」と中の人にそっと…
今までの余暇の過ごし方なんかを振り返ってみると リアルな趣味に軸足を置いていたこともあれば ネットに入り浸って特定のサービスをまるで自分の居場所のように思っていたこともある。 そのときは、ネットとかリアルとかを意識していることはない。 あとで…
まあ、ネットでもリアルでもそうなんだけど。 「みんなの意見は案外正しい」の「みんな」が誰なのか、確かめておくことは必要。 声の大きい人の意見は遠くまで届きやすいけど、それがいつも正しいかどうかは、また別の話。 人が集まるところで観察しておきた…
じゃあどうすればいいんだよ、と思うことがある。 いつもはうつむき加減におさえていた感情を放り投げて、 身勝手な言葉の一つや二つくらい喉元にこみ上げてくるときが、この自分にも、やはりある。 「だが」と立ち止まる。 投げた言葉は、いつか自分に返っ…