自分を律するということ

目の前に、ともすれば雑念を抱かせるきっかけがある場合。
その雑念は、しょせん雑念にすぎず、かなわないことを言い聞かせる場合。
それでいて、だからこそ、自分が自分自身に抗いたい、昨日よりもまた違う自分でありたい、そう思っている場合。
何もしなければ、何もしないままで時間を過ごしてしまう、壁一枚隔ててのっぺりした惰性の海を感じ取った場合。
そういうときは、自分を律することができるものはなにかということを、まず考える。
手段は、一心不乱に取り組めるものであればあるほどいい。
そうすることで、雑念を規律に昇華することができるのではないか。


ここまで書いてきたところで、自分が過去に趣味にのめりこんだ動機も、どこか共通点があると気づいた。
没頭できる何かを見つけることで、現実にあることを忘れることができるのはないか、と信じようとするあたり。