年を重ねるということは
![「若作りうつ」社会 (講談社現代新書) 「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41C2xvm8QPL._SL160_.jpg)
- 作者: 熊代亨
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/03/28
- メディア: Kindle版
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年をとることは、必ずしもマイナスのイメージでとらえるべきでもないのではないかと、最近思うようになった。
「前向きな意味で、年を重ねること」とはどのようなことだろうか。
今日あったやりとりを思い出しながら、忘れないうちに書きだしてみる。
- 人の立場を慮れるようになることだろうか。
- 普段接する場であったり、接しようとする場には、さまざまなバックグラウンドを抱えた人がいる。
- 必ずしも思い通りにことが進むとは限らないし、むしろ、思い通りに行くことの方が少ない。
- しかし、それは決して悲観することではない。
- 場面に応じて、ものの見方を変えられるようになることだろうか。
- 目の前にあることに対して価値の判断を下すときは、もの差しが必ずしも一つとは限らないことをどこかで意識できているだろうか。
- 場面や立場に応じて、使うもの差しを自然に使い分けることができるだろうか。
- 人に敬意を払えるようになることだろうか。
- 年上、年下であるかを問わず、自分にはないすぐれたものを持っている人を敬い、その人から学ぶことができるだろうか。
- いま自分がここにいるのは、周りにいる人たちに支えられてきたからこそだと、感謝できる気持ちがあるだろうか。
- 人に優しくできるようになることだろうか。
- 自分のいたらなさを胸にとどめながら、人と接することができているだろうか。
- 望まない結果や結論がそばにあるとしても、人の話を聴き続けることができるだろうか。
- 自分にできることには限りがあると意識できることだろうか。
- 知らないことを、素直に知らないと言えるだろうか。
- もしもそのことを知らなければ、素直に学ぼうと立ち戻ることができるだろうか。
「一回り大きくなったね」
なぜ、自分がそのように見られているのか。
さかのぼり始めると、最近よく考えることに突き当たった次第。
行動する動機
考えてもどうしようもないことがすぐそばにあるとき、そのことを考えずにいるにはどうすればよいかを考える。普段どおり過ごしながら、心の平静を保つにはどうすれば良いかを考える。
自分が実践してきたことはいくつかある。
- 自分に負荷を与える。
- 自分に課題を課すことで、自分を今とは違う高みに導くことができないかを考える。
- 一心不乱に対象に取り組むことで、考えてもどうしようもないことを、そばに追いやる。
- それは、客観的に見れば、禁欲的であったり、抑制的に見えるかもしれない。
- だが、当人は違う。現実から逃避するための手段のひとつとして、そのことに取り組んでいるから。
- 自分は決して強くないし、才能があるわけでもない。それをわかっているからこそ、いま自分がいる場所から、もう一段高みに登りたい思いを強くする。
「悔しいと思うから、行動する」。
これが自分を形作ってきた原理だったことは、おそらく間違いない。
そして、これからもしばらくはそうあり続けるのかもしれない。
自分を律するということ
目の前に、ともすれば雑念を抱かせるきっかけがある場合。
その雑念は、しょせん雑念にすぎず、かなわないことを言い聞かせる場合。
それでいて、だからこそ、自分が自分自身に抗いたい、昨日よりもまた違う自分でありたい、そう思っている場合。
何もしなければ、何もしないままで時間を過ごしてしまう、壁一枚隔ててのっぺりした惰性の海を感じ取った場合。
そういうときは、自分を律することができるものはなにかということを、まず考える。
手段は、一心不乱に取り組めるものであればあるほどいい。
そうすることで、雑念を規律に昇華することができるのではないか。
ここまで書いてきたところで、自分が過去に趣味にのめりこんだ動機も、どこか共通点があると気づいた。
没頭できる何かを見つけることで、現実にあることを忘れることができるのはないか、と信じようとするあたり。
通った道
少し前に既に自分も通った道。
気がつけば、かなり前に自分も体験していたこと。
いまさらながら、あのときの緊張と興奮は何だったのだろう、と振り返る。
周りに惑わされることは自分のためにはならないと、わかってはいながらも。
恵まれている、ということ
仕事の場面で、このところ、自分は恵まれているのではないかと思うことが増えている。
思い当たる節はいくつかある。
- 一緒に仕事をするメンバーに、自分が支えられているという実感がある。
- 前任者の残したことを、ようやく自分のものにできた実感がある。
- 前に犯した失敗を教訓に、仕事を進められている実感がある。
- 周りと協力することを意識してきた結果、ささやかだが成果が実際に得られた。
主なところは、そのあたり。
欲張りすぎず、的を外すことなく、次の階段を目指すことができればいいな。
Androidに替えて一ヶ月、アプリの感想など。
FOMAからAndroid(GALAXY SII)に替えて1ヶ月。
よく使うアプリやそうでないアプリをひと通り整理してみることにした。
よく使うアプリ
ATOK
https://market.android.com/details?id=com.justsystems.atokmobile.service
- これまでAndroidアプリで唯一お金を払ってインストールしたもの。
- 入力履歴を学習する機能、かなで入力していても数字に置き換えられる「痒いところに手が届く」機能ははさすがと思わせるものがある。
- 1,500円でこの安心感が得られるなら安いもの。
はてなブックマーク
https://market.android.com/details?id=com.hatena.android.bookmark
- サクサク動いて使いやすい。
- 自分のブックマークとお気に入りを歩くならこれで充分。
- タグを入力するときカッコ([hoge])を入力する必要がないのがいい。
- お気に入りのユーザのブックマークを直接閲覧するときはブラウザから。
Foursquare
https://market.android.com/details?id=com.joelapenna.foursquared
- 位置情報系遊びのできるアプリ。遅まきながら参加してみた。
- FriendsやFollowerの仕組みは正直よくわかっていない。
- 自分のよく行く場所が回数で示されるのが面白い。
- あまり熱中すると居場所を不用意に晒してしまうため、ほどほどに抑えつつ遊んでいる。
MyTracks
https://market.android.com/details?id=com.google.android.maps.mytracks
- 位置情報系のアプリ。GPSの軌跡が取れる。
- 270km/hの新幹線でもほぼ正確にログが取れたのは驚き。
- 高速道路などでログが細かく途切れることがある。端末を空に向ける方向に問題があるのだろうか。
- ログの間隔はデフォルトでは必要以上に細かい。
山旅ロガー
https://market.android.com/details?id=com.kamoland.ytlog
- 位置情報系のアプリ。GPSの軌跡が取れる。
- MyTracksに比べて省電力で動くとの触れ込み。日帰りのハイキング向け。
- 一度4時間のハイキングで使ってバックグラウンドで動作させてみたときは、4時間で15%ほどバッテリーを消費していた。
地図ロイド
https://market.android.com/details?id=com.kamoland.chizroid
- 位置情報系のアプリ。国土地理院の1:25000の地形図を閲覧できる。
- 原則としてその都度ネットワーク経由で地図データをダウンロードして電池を食うため地図を代替するには至らないけど、いい時代になったと感じさせる一品。
QuickPic
https://market.android.com/details?id=com.alensw.PicFolder
- 画像・動画閲覧アプリ。
- プリインストールされている写真閲覧のアプリ「ギャラリー」よりも高速に動く。
- 「隠しフォルダ」の画像を閲覧できるのがポイント。
Evernote
https://market.android.com/details?id=com.evernote
- なんでも取り込める記録ツール。
- 実は2年前アカウントを取得していたのだけどすぐに休眠状態に。
- スマートフォンを契約して1年間プレミアム会員の資格をもらったので再開してみた。
- はてブでブックマークした記事を転送する機能 http://hatebte.com/ を使い始めている。
- 元記事が消えても溜めたノートから検索できる、はず。
- GPSのアプリで取得したログをEvernoteにネットワーク経由で転送、ってこともやっている。
- 案外使いでがありそう。
期待外れのアプリ
AudioGalaxy
- PCに溜め込んだ音楽をネットワーク経由で携帯でも聴けるというアプリ。
- 携帯のメモリ領域を音楽で圧迫しないところはいいんだけど、バックグラウンドで頻繁に通信するのか、バッテリーの減りが異常に速いので一日で使うのをやめた。
ふとしたすき間に
時間や寝食を忘れて没頭できることがあって、精神的にも肉体的にも充実した時間を過ごせる時期があるとして。
なにかがきっかけでそのことから離れてしまって、心にふとしたすき間が生まれることがある。
そういうとき、たまたま、近くに話を聞いてくれる人がいたとしよう。
身の回りのこと、同じものを見ていて思ったことを、他愛もなくやりとりをすることから始まって、
ときに、考えていることが似通っていること、これまで考えもしなかったその人がいることがわかると、その人と心が通じたことに、そしてその人が自分に対して心を開いてくれたことに、ふと嬉しくなる瞬間がある。
そうなると、「その人のことをもっと知りたい」。
興味や関心がその人そのものに移るのに、それほど時間はかからない。
時間や寝食を忘れて没頭できるのが、ものやことであれば、自分自身の心の状態について、深く考えることもなく突き進むことができたはずなのだけど。
いや、興味や関心を傾ける対象が「人」だからこそ、どこかで線を引いて、そこに踏みとどまることができれば、互いに心地よい距離を保った関係でいられる、ということを、どこかでは冷静に考えているはずなのだけど。
いったん動き始めた心を、自分の意志で押しとどめるのは難しい。
いまさらながら、このような自分がまだ生きていたことに驚いた瞬間である。